カール バルト。 「カール・バルト」および「吉本隆明」等 : 24の4.「知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明」

「カール・バルト」および「吉本隆明」等 : 24の1.「知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明」

というのも、もし人間の知識というものが実際に身体的な感覚にもとづく経験や心に留まる理解の範疇に制限されるのであれば、キリスト教の教義の神について明快に語ることなどできなくなる。 「バルト神学の形成」という論文がある。

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「カール・バルト」および「吉本隆明」等 : 24の4.「知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明」

なお二重鉤括弧内の邦訳版の題名は訳者によって変わる場合がある。

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われ弱くとも恐れはあらじ

1935年2-3月ユトレヒト大学での16回の講義。 古屋の第三論文集。 「第3章 物語る教会と赦罪の伝統」の「第2節 赦罪の伝統とキリスト論 2 --まことの神」に「4 バルトによる預言者職の復権」あり。 『教会教義学』17章「宗教の廃絶としての神の啓示」において、彼はもっとも痛烈な批判を展開する。 341f)。

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カール・バルトについての研究書2

ほんとうかねえ。 小川圭治、「カール・バルトと説教」(『説教者のための聖書講解--釈義から説教へ』No. さらに窮地に陥った彼は、事態が最悪なものになったしるしに、神性の啓示を外界の存在の証明のために持ち出すことになる。 10)バルトの二つ目のより大きな誤りは、精神の思惟における神との関係性を断ち切ったことである。 バルトが啓蒙主義の知識に対する歴史学的かつ認識論的な主張に同意するのは、ただ神自身が歴史学的かつ認識論的なものになることを認めるためである。 したがって、「キリスト教的語りがあるべきだとすれば」、神の側の真実としてあるあの総体的構造に基づいて、「神を人間的な認識の客体として表示する仕方は必然的である」。 しかし、キリストにあっての神は、「われわれがわれわれ自身からしてはできないこと」を、神の側の真実としてあるあの総体的構造に基づいて「われわれ自身を通してなすことができる」のである。

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カール・バルトについての研究書2

人名索引、事項索引は著作集よりしっかりしているので有用。 神はどういうわけかすべての永遠性ゆえに人間であるという、すなわち人間性は神性の第二格(子)に永遠に閉じ込められているという幻惑的な信念は、バルト神学全体の中心を成すものとなる。 そしてバルトがその話をすると、もう参加していた人たちから大声が起こって、拍手喝采になったというんですね。 これを全面改訳して 『ローマ書講解』(上、下)(平凡社ライブラリー)(平凡社、2001、上下各1600円)。 近代の哲学は古典的な有神論を偽りと決めつける。 たんなる仄めかしであるならば20世紀神学が容認した知恵もその正統な物語も不要である。 本書とその改訂2版(1922)は、第一次世界大戦後に彼と同様の閉塞 へいそく 状況にあったスイスやドイツなどの若い牧師・神学者に大きな反響を呼び起こし、「弁証法神学」とよばれる神学運動の発火点となった。

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